見えるもの見えざるもの見えるもの見えざるもの「最近どうも近くが見えなくってね・・・」 とうとう言ったか、と主人が新聞を読みながらその紙面までの距離を近づけたり離したりして、ううーんと唸りながらも、なんとか読んでいるけれどそれも時間の問題、と腹の中で思い始めて3ヶ月、いつ言うかと半ば手薬煉を引くような心中で待っていた私は、まさに手をたたくような思いでそのセリフを聞いた。 「まぁ、じゃあメガネが必要かしら?」 朝の支度をしながら、背中越しに声を掛ける。 かちゃかちゃという食器の音に混じって、あああー、ダメだ、やっぱり見えん、と言ってバサリと新聞を投げつける音が聞こえた。 「なに、新聞に八つ当たり?」 お味噌汁椀を差し出しながら、むっと口を尖らせた主人に向かってクスリと笑いかける。 「そんなんじゃないよ・・・・・今日は調子が悪いんだよ」 そんな風に言い訳する主人は、チラリと私の顔を見た。 私は30代半ばの、子供が小学校に上がって学校の役員を引き受けた頃からメガネを掛け始めた。それまで遠くを見ることに何の苦労も感じなかった私が、小学校のPTA新聞や各会報などを編集していく最中に、何でこんなに疲れるのかと思うほど、目の奥がジーンと痺れるようになっていって、まさか目の所為だとは思わずに、度々頭痛薬のお世話になっているんだということをあるとき子供の同級生のお母さんに話したところ、「それって、目の所為じゃない?」という返事が返ってきた。 「目って、私遠くも近くも不自由ないけど」 「でもさぁ、昨日のテレビで言ってたよ、頭痛の原因の約半数は目の所為だって」 いったいどこの放送局ですか、と問いただしてインターネットでその放送局のサイトを探し出した。 あ・・・、ホント。 そこに紹介されていた記事は物の見え方に関することで、自分に当てはめてみるとどうも遠視と言うものらしいことが解った。 遠視っていうのはカンタンに言うと望遠鏡で普段物を見ているのと同じことらしい。 望遠鏡では離れた所は良く見えるけれど、近くは当然見えない。で、目の機能がまだ旺盛なうちはその見えない距離でさえ焦点を合わせるだけの力を持っているけれど、だんだん年を取っていくうちにそれが出来なくなると言うことだそうで、なんだ、結局年齢の所為だってこと?といささか憮然としたけれど、この頭痛には代えられないってことで次の日思い切って眼科へ行くことにした。 「それほど強いと言うわけではないんですが、遠視と乱視がありますね」 目の検眼というのをしてくれた「検眼士」という人がそう説明してくれて、この乱視というのがまた曲者だったらしい。乱視というのは、物を見るときに像を結ぶ焦点というのが1つではなくて2つ有ることを言うとのこと。たとえば一方がきちんと網膜に当たっていても、もう一方がそこまでに達していなければ像がぶれて見える、という聞いただけではなかなか厄介なもの、という感じがした。 「メガネを掛けさえすれば、問題なく見えるようになりますけどね」 メガネ。 今までそんなもん、自分に必要だとは思いもしなかった。 「あなたの場合、遠視と乱視の矯正用メガネさえ掛ければ、遠くも近くも今までどおりきちんと見えるようになりますよ」 そんな、ことはカンタンに行くんですか??と疑問だらけの私に 「ま、これをしばらく掛けていてください」 ご大層なテスト枠にレンズを2枚重ねていれて、何を見ていてもかまいませんよ、と言われた私は2~3日前に本屋で買おうか買うまいか悩んだ雑誌を手に取った。 あら、細かい字が平気で読める。 ぱっと顔を上げると、離れた所にある診察室という文字も難なく読めるし、あれ?なんだかまわりがすっきりと見える、と少々驚いてきょろきょろと視線を動かした。 「まっすぐのものがゆがんで見えませんか?」 まだ若い看護士の女性が聞いてきて、ゆがむよりもこの綺麗さ加減はなんなんでしょう、と言うと 「ああ、そうですよね、乱視をきちんと矯正しているおかげだと思いますよ」 にっこりと笑って、もうしばらくお待ち下さい、といって去っていった。 あらら、この人の後姿が朝来た時よりもすっきりと見えるわ。 それが乱視軸の方向の所為だという事も知らないで、とにかく綺麗に見える、と喜んで処方箋というものを書いてもらったのだった。 それからメガネ屋さんで作ったメガネを掛けて、それ以来朝起きるとまず顔を洗うよりも先にメガネをかけるという生活になった。 「お前みたいなメガネ猿にはなりたくないなぁ・・・」 メガネを掛けるようになってからの私のあだ名は「メガネ猿」。 これは主人しか言わないあだ名だけれど、言われたわたしがすぐにむっとして怒るのがまたおかしいという。 「そんなこと言って、見えないものは見えないと観念しなさいよ」 私みたいに老眼鏡じゃなくって遠視って言うこともあるんだからさ、と言うと 「・・・・・そうだな、一度眼科に行ってみるか」 やっと言ったそのセリフににっこりと、一番上等な笑顔で答えてやった。 「ついてってあげる」 えー、やだなぁ、という主人の前に座ってご飯茶椀を持ち、だって私はこのご飯粒が1つ1つ見えるもん、と得意げに言ってさてどんな枠を見繕ってやろうか、と気分はもうコーディネーターになっていた。 ジャンル別一覧
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